2004年のスマトラ沖地震による津波で壊滅的な被害を受けたインドネシア・アチェと、2011年の東日本大震災による甚大な被害を受けた日本・東北。NPO法人地球対話ラボによるこの両地を結ぶ地道な交流支援活動の中から生まれてきたのがこの曲である。2016年夏、バンダアチェ郊外にあるランビラ村を訪れた現代アーティスト門脇篤が、ワークショップの中で「みんなが世界に伝えたいことを教えてほしい」と語ったところ、これを心にとめていたこの村で学習支援のボランティア団体TPMTに所属するRaudhahが数ヶ月後にFacebookメッセージでアチェ語の歌詞を送付。意味も発音もわからない歌詞をめぐり、SNS上で何度もやり取りを重ねた結果できた曲を持って、スマトラ沖地震から12周年を迎えようとしているアチェを門脇が再び訪問。さらにさまざまな人の手を経てかたちになっていったこの曲を、ランビラ小学校のこどもたちや、バンダアチェで学習支援などのボランティアを行う団体KSAのメンバーらとともに収録した。1番がアチェ語、2番が日本語の歌詞はほぼ同じ内容になっており、アチェ津波博物館での東北とアチェのこどもたちによる未来絵図の贈呈式やアチェの震災遺構を使ってのアート・プロジェクトオープニングセレモニーなどでも披露されるなど、両地を結ぶある意味「模範的」な企画となった本作だが、最初から意図してそうなってものではなく、なんの見通しもない中、まるでわらしべ長者のようにしてできあがっていった経緯や、その土地土地固有の言語を持つ多民族国家インドネシアだが、共通語のインドネシア語の使用が進み、若者の中にはアチェ語をうまく話せない者もいることなどを明るみに出すなど、コミュニティアートとしての射程をもった一面も垣間見せてくれる。

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